京から五百番目の川という五百川
どんな伝承か
五百川は昔から魚族の繁殖が多い川であったが、維新前にはその量が減って、藩の禁漁場として許可なく獲ることができなかったという。名の由来は、陸奥守に任ぜられて京より下ってきた人が、奥州までの間の大小の河を数え、京から五百番目にあたったからだといい、一説には魚の数と種類が多いので五百といったともいう。また久安年中、ある皇子が口論の末に中啓で相手の冠を叩き落とし、天皇の不興を買って、都より東の五百番目の川の外へ流されることになった。警護の司人がわずかな小溝まで数に入れて記帳しながら下り、安積と安達の境の大川が五百番目であったので、皇子をその川里に住まわせたという。
原典より
五百川は昔から、魚族の繁殖が多い川であったが、維新前はその量が減って来て、藩の禁漁場として、許可がなく獲ることが出来なかったという。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。