火を発したマリヤ像を埋めた壇
どんな伝承か
大槻本村より針生に行く道の田の傍に、高さ一間か二間ほどの塚が三基ある。古老の言い伝えでは、太田に住む橋本宗左衛門の智伝介という人が切支丹の信者で、その養母も信者であった。切支丹像を収めた容器をある人に預けたが、見てはならぬと言われたその箱を開けると、女姿の人形すなわちマリヤ像であった。すると人形から火が発して箱を焼いてしまった。その人はこれを機に切支丹に帰宗し、家族も信者となって盛んに信仰した。領主は切支丹に制裁を加えるとともに、その像と容器をこの人形壇に埋めさせて塚を築いた。太田は切支丹部落とも呼ばれ、旧墓地に切支丹墓が残っている。
原典より
大槻本村より針生に行く道の田の傍に高さ一間か二間程の塚が三基ある。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。