義家が節分の豆を撒いた坂
どんな伝承か
田村町細田字向田百三十五番地の山林内にあり、そこは谷田川と細田の境界地になっている。康平五年の昔、前九年の戦いに八幡太郎義家がこの地に来て宿営し、節分の夜に豆を撒いたところと伝えられ、豆煎坂という。また宝暦五年六月二十八日には、ここから取れた大豆一升を三春領主秋田公へ献上したとも伝えられる。この坂の北方の山間の田地には、岩石から清水が湧き出しており、飲料水に用いたものといわれる。四方には塚が十七個残されているが、義家の遺物を埋納した塚であると伝えられている。
原典より
田村町の細田と谷田川の境界の北に、そのむかし八幡太郎が宿営し、節分の夜、豆まきをしたというところがある。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。