大蛇を射た五本の矢と鏑矢明神
どんな伝承か
八幡太郎源義家が東国の兵を率い、陸奥の清原一族追討の命を受けてこの地に来たのは寛治年間、桜の咲く四月の頃であったという。義家は田村の賊を平げたのち安積の賊を討とうとし、阿武隈川の福原の渡しにさしかかった。福原水神館の館主渡辺権太夫が家来を連れて出迎えたので、義家は喜んで白鏑矢を賜い、館は大鏑館と名を改めた。折しも里人から作物を荒らす大蛇の話を聞いた義家は、十六歳の鎌倉権五郎平景政に退治を命じる。景政は大蛇の通う道筋に祈りの壇を築いて待ち受け、雲に乗って現れた大蛇へ五本の矢を放った。その一本が大蛇とともに福原へ落ち、それを祀ったのが鏑矢明神だと伝わる。
原典より
八幡太郎源義家が、東国の兵を従え、陸奥の豪族、清原一族を追討する命を受けて、この地に来たのは、今を去る八百九十年の昔、寛治年間の桜の咲く四月の頃であったという。—— 郡山の伝説(ふるさとの文化財調査事業・昭和六十一年(1986)刊/監修 大島建彦) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(ふるさとの文化財調査事業・昭和六十一年(1986)刊/監修 大島建彦)
福島県郡山市(旧安積郡・田村郡域、湖南・熱海・三穂田・逢瀬・西田・中田ほか各町)に伝わる伝説を、木/石・岩/水/塚/坂・峠・山/祠堂/家・村/祭礼・行事の八部門に分類して集成する。坂上田村麻呂や阿古陀媛・采女伝説・萩姫、源義家ら前九年の役の人物伝承、淵や池の主・龍神・河童、弘法大師の清水、稲荷・観音・地蔵の霊験、長者伝説や埋蔵金、隠れキリシタンなど、郡山の地に根ざした怪異・霊験・由来譚を伝承地つきで網羅する。