静御前の黄金仏を祀る太田の子安地蔵
どんな伝承か
太田部落の西に子安地蔵堂がある。この地蔵は、昔は美女池の松の木の根もとにあったが、現在の地に移されたという。文治五年の昔、平泉の義経を訪ねた静御前がこの太田部落にさしかかり、義経がさらに北にいると知って思いあまり、池に身を投げて死んだ。その池を美女池といい、池の東の地蔵谷地に投げ捨ててあった一寸八分の黄金仏を部落の人が拾い、堂を建てて祀ったという。堂はのちに壊れて本尊も失われたが、天文年間に相楽権右衛門が自分の林に堂を建て、堂守を置いて祀ったのが今の子安地蔵である。天文年中には子どもの姿に化身して田植えの鼻取りをしたので鼻取り地蔵とも呼ばれ、そのときの田を地蔵田といって不浄を忌むという。
原典より
昔、この地に義経を尋ねて来た静御前が、義経に逢えず美女池に身を投げてなくなったとき、美女池の東に地蔵が投げ捨ててあるのを、部落の人が拾ったという。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。