静御前を葬る針生の御前堂
どんな伝承か
源義経を慕う静御前は、下僕の小六と乳母さいはらを連れて奥州へ向かい、安積の里に着いた。途中で小六が病死し、静は大槻の花輪長者の屋敷を訪ねたが、義経はすでに平泉へ発ったと知らされる。行く先を失った静は文治五年三月二十八日、乳母とともに池へ身を投げて二十一歳で死んだ。長者は哀れんで手厚く葬ったという。その後、天文十七年に大槻城主伊東三郎左衛門高行が毎夜あやしい光を見て、その場所を掘らせると静の石碑が埋もれていた。そこで堂を建てて静御前堂として祀った。小六が死んだ場所は三穂田町山口で小六峠・小六塚の名が残り、静が化粧した坂を化粧坂、身を投げた池を美女池と呼ぶ。
原典より
源義経は、兄頼朝との不和で都を追われ、奥州の藤原秀衡をたよって、みちのくに逃げた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。