安藤峠を掘らせた軍用金の暗号
どんな伝承か
明治戊辰の秋、鶴ヶ城落城寸前に、米収を積んだ駄馬三頭が秋山港の卯右衛門宅に着いた。随行の武士が持参した書状は、お借金方生亀六蔵から、藩の軍用金を一時かくまってくれというものだった。卯右衛門は、屋敷内にお借金方の別宅があることを村人が知っているため危険だとして断り、福良の問屋へ行くように言った。のち鍋島藩士が別宅に駐留し、安藤峠の関守安藤斎が置き忘れた木札から軍用金の噂を責め、飛脚便の「馬三駄久道蔵、迄安堵」を「安藤峠の旧道に千両箱を埋めた」と解して毎日掘りまくったが、見つからないまま帰国した。実は文意は、福良問屋の支配下の久道姓の二軒に頼んだという意味であったという。
原典より
明治戊辰の秋、鶴ヶ城落城寸前、米収を積んだ駄馬三頭が、前後して秋山港の卯右衛門宅に到着した。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。