雪村庵に残る画僧の墓碑
どんな伝承か
昔、奥州田村領の太田村に、いずこからか高貴な旅の僧が来て庵を結び住みついた。この僧は書画をよくし、自ら和紙を漉いて里人に団扇や凧絵を描いて与え、喜ばれていた。常陸佐竹氏ゆかりの雪村周継である。その漉く紙は雪村紙と呼ばれた。数年ののち、雪村は年の暮れに病み、里人の願いも空しく十二月三十日に入寂した。里人は矢島川の大きな丸石を選んで墓碑として祀ったという。近くの人々は今も春秋の彼岸に香華を手向け、亡くなった暮れの餅つきを忌んで、正月に入ってから餅をつくと伝えられる。
原典より
昔、奥州田村領の太田村に、いつのころからか、高貴な旅の僧が来て、庵を結び移り住んでいた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。