身を投げた万機和尚と梵鐘型の碑
どんな伝承か
穴山村北部、若神子との境に飯盛山がある。天明年間、重久組の福泉寺の住僧万機和尚は、この山頂に鐘楼と大梵鐘を設けて十里の村民に時を報じようと計画し、十方托鉢して七十五両の浄財を得た。ところが重久組で富み栄えていた土豪守屋恒右衛門が、天明の大飢饉を理由に一時の延期を申し入れたため、宿願を果たせなかった和尚は悲しみのあまり、その施財を抱いて釜無川に投身自殺した。川下の清哲村の某氏がこの金を拾い、一夜のうちに富豪になったという。明治十一年五月十一日、守屋氏の子孫が和尚の霊を弔って梵鐘型の石碑を作り、大般若経六百巻をもって供養した。石碑は今も重久墓地に苔むして立つ。
原典より
穴山村北部若神子の境に飯盛山があり、飯を盛つような形をしている、いい伝えによれば天明年間重久組福泉寺住僧万機和尚、此の山の山頂に鐘楼と大梵鐘を設け、十里の村民に時を報じ生活改善に質せんと計画、十方托鉢し浄財七五両の喜捨を…—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。