梅の枝に誓った将門と金剛寺の鐘銘
どんな伝承か
金剛寺の鐘銘の序。承平の頃、平親王将門は総州相馬郡に居て関東を併呑し、菩提の因として伽藍を建てようと武州杣保内に地を相した。梅の一枝を地に挿し、願いが成るなら枝は栄え、成らぬなら枯れよと誓ったところ、枝は芽を出して日ごとに伸びた。誓いに徴があると喜んでこの地に基を開き、平素持していた弥陀像を安置して寺を金剛と号し、院を無量寿と扁した。都の蓮台寺の寛空を再三請い、寛空は東に来て弘法大師手刻の遺像を開山の祖に擬して一年余り住み、高弟の僧にあとを任せて都へ帰ったという(寛文六年、智積院運敞撰)。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。