三足の鶏が告げた将門滅亡=岩殿山の調伏
どんな伝承か
聖武天皇の御代、行基が観音像を刻み、岩窟に納めて磐石を扉とした。桓武天皇の御代、蝦夷征討に向かう坂上田村麿が比企郡を過ぎてこの山に至り、荊棘を薙いで石殿を見つけたが扉は動かず、観音の本誓を念じて諸人に名号を唱えさせて扉を挙げると軽々と開き、光明が山中の闇を照らした。帰洛後に伽藍を建てて開基とされ、朝廷は勅願所に準じて国の災いを祈らせた。朱雀院の御代、将門が下総で謀反すると当山に調伏を命じ、百院百壇で大黒天の法を修したところ、三足の鶏が北から飛来して一院の樹上に落ちた。これを成就の相として幾日もなく将門は下野の三面之崎で亡び、この院は息障院と号して一山の首座になったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。