三田弾正が祀った将門霊神祠
どんな伝承か
かつて芝区三田、いまの港区三田に、戦国の武将三田弾正が将門の霊を祀ったという将門霊神祠という小祠があった。三田氏が将門を祀るのは、その流れを汲む一族とされたからである。『相馬系図』には相馬師常の十数代後に胤興があり三田弾正と註され、その長子胤勝の傍らには武州三田庄に将門宮を建立したと記されている。三田氏は青梅から西の五十五か村を領し、居城は勝沼城であったが、北条方に押されて二俣尾の辛垣城へ移り、永禄六年に滅んだ。城主三田綱秀は逃れた先で切腹して果てたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。