比叡山で平安城を見下ろした将門・純友の密約
どんな伝承か
『大鏡』の伝える将門と純友が東西に呼応して乱を約束したという同盟説もその一つである。『純友追討記』は純友が遠く将門の謀反を聞いて乱を企てたと記し、『本朝世記』は将門と心を通わせて行ったに似たりと解し、『神皇正統録』は相馬将門と同意して謀叛を企てたと断定する。『将門純友東西軍記』では、伊予守紀淑人に伴われて上洛した純友が在京中の将門と知り合い、承平四年八月十九日に二人で比叡山に登って平安城を見下ろし、事が成れば将門は王孫ゆえ帝王に、純友は藤原氏ゆえ関白になろうと約束したと語る。著者は、地方豪族の野心が血筋で合理化され、ありそうな話として史実と混同されていく過程を指摘する。
原典より
将門はちんを忘れてわんといい関八州を征服してみずから帝位につき、 平新王”と名告った将門であったが、身につかぬ位に思わぬぼろを出す。—— 将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。