椋神社と日本武尊の光る矛
どんな伝承か
秩父郡下吉田郷の井椋五所大明神、いまの椋神社の由来書。景行天皇四十年、日本武尊が東夷征伐で山路を巡り、矛を杖にして立てたところ矛がにわかに光を放ち、その光が飛んで止まった。尊が不思議に思って行ってみると、井のほとりの椋の木の下に老翁が現れ、自分は猿田彦命で道案内をしようと告げたため、矛を神体として祀ったのが井椋の社の起こりだという。のち朱雀院の御代、俵藤太秀郷が将門を征伐するにあたり春日四所を勧請して地主神の猿田彦と合わせ祀り、誅伐を祈って一族を討ち、五つの神殿を建てて五所大明神と号した。神殿はのちに荒れ、いまは一社の相殿に移されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。