湯河原に集まった頼朝の挙兵軍
どんな伝承か
治承四年、以仁王が平家打倒をはかって敗れると、平清盛は令旨を受けた全国の源氏の討伐を命じた。伊豆の蛭ヶ小島で二十年を流人として過ごした源頼朝も狙われる身となり、座して殺されるよりはと挙兵を決意する。八月十七日の夜、北条時政らが伊豆の目代山木兼隆の館を襲って討ち取ると、頼朝は約三百騎を率いて山を越え、湯河原の土肥実平の館に集まった。ところが頼みの三浦一族は、しけで海を渡れず、陸路では酒匂川の増水に阻まれて合流できない。その間に大庭景親らの平家方三千騎が国府津から小田原に集まり、背後からは伊東祐親の軍が迫って、頼朝は挟み撃ちの窮地に陥った。
原典より
熱海、伊豆山を経て、いったん湯河原の土肥実平の館に集合した頼朝勢は、予定していた味方が一向に集まらないのにいら立ちながら、…—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。