泣ヶ原
どんな伝承か
百五、六十年前のこと、平塚の土屋の若い農夫が友人二人と伊勢参りに出かけた。帰り道の大井川は長雨で水かさが増して川止めとなったが、家に残した若い妻に一日も早く会いたい農夫は、友人の制止を振り切って泳ぎ出し、激しい流れに呑まれて死んだ。川止めが解けて戻った友人たちは、薄化粧して夫を待ちわびる妻を前に本当のことを言えず、夫は伊豆から船で帰ると言い繕った。妻は翌日から相模湾を見渡す虫窪の高台の原へ山道を通い、沖を見つめて夫の船を待ち続けた。数十日後の秋の夕暮れ、妻は原の草の上に倒れ、冷たくなって見つかった。村人はその純情を忘れまいと地蔵を祀り、この原を泣ヶ原と呼んだ。
原典より
解説・索引 巻末常倫寺の大銀杏 曹洞宗常倫寺(横浜市鶴見区駒岡町)にでかけたのは、車にゆられているとついねむくなるような、初春の暖かい日だった。—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。