耕す者の妻が死ぬ妻死田
どんな伝承か
川越市境町の妙昌寺の境内には、五畝ほどの年貢地となった田があった。この田を耕す者は必ずその妻が病に倒れて死ぬと言い伝えられ、後には誰も手をつけず荒れ地になったという。人々はこれを妻死田とも妻殺し田とも呼んだ。のちに川越城主の松平信綱がここで芹を作らせたことから、芹田という名で呼ばれるようになった(『多濃武の雁』)。
原典より
川越市境町の妙昌寺境内に、五畝(五アール)の年貢地があった。—— 武蔵の伝説(大島建彦/渡辺千佳子・日本の伝説・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
武蔵の伝説(大島建彦/渡辺千佳子・日本の伝説・1976年(昭和51年))
『武蔵の伝説』は、大島建彦と渡辺千佳子が昭和五十一年に著した伝説集である。埼玉県・東京都と神奈川県の一部にあたる旧武蔵国の伝説を、地誌・紀行・社寺縁起・区市史や『埼玉県伝説集成』などの文献と土地の口碑から集め、項目ごとに出典を添える。『日本伝説名彙』の六部門に家・村と祭礼・行事を加えた八部に分け、巻頭の「はじめに」で伝説の分類の方法を論じている。