市ノ川の濁水
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どんな伝承か
松山城の裾を流れて比企の平原を貫く市ノ川の水は、いつも濁っている。天正十八年、松山城は前田利家・上杉景勝の包囲攻撃を受けた。城主上田安独斎は小田原城に召されて籠城中で、家臣難波田因幡守が指揮に当たったが、衆寡敵せず城は陥ちた。城主の夫人は敵の手に渡るのを恥じ、混雑にまぎれて城を抜け出し、朝霧たちこめる市ノ川の岸辺に立った。遺骸を敵前にさらすまいと「水よ濁れ、濁れ」と唱えて渕に金の簪を投げ込むと、川は一面の濁水と化した。夫人は日頃信仰する岩室観音を伏し拝み、水中深く身を投じたという。その亡霊は今も大蛇と化して長瀞と呼ぶ渕の奥深くに潜むと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 上(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成・昭和40年代刊(上巻))
韮塚一三郎『埼玉県伝説集成——分類と解説 上』を全487話・伝説(土地別の異伝)単位で収録(巻中の<解説>・[参考]・和歌・注は本文に内包)。
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東松山市の伝承
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