三谷新四国と悪疫平癒の千人参り
どんな伝承か
小倉南区の東谷・中谷・西谷の三谷では、春秋の彼岸の前後に、お大師講の信者による三谷新四国霊場巡りの千人参りが行われる。縁起によれば、明治四十二年の夏に三谷で悪疫が流行して多くの死者が出たため、有志が菅生の滝に籠って平癒を祈り、道原の修験宗金竜院(菅王寺)の住職に病の終息を占ってもらった。すると三谷に西国三十三番の観音霊場を設けて信仰せよとのお告げがあり、同年、真言宗の信者十数人が中谷の聖泉寺に集まって協議し、三十三か所の霊場を定めて巡ったところ悪疫は消えた。その後、これに加えて三谷新四国八十八か所を創設し、大正十五年から春秋二季に巡拝するようになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北九州市史 民俗(北九州市・北九州市史)
『北九州市史 民俗』は、北九州市が編んだ市史の民俗編である。ここに収めるのはその第三編「信仰伝承」第一章「信仰」の第二節以降で、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の各区に伝わる聖地と忌地、神仏信仰、神事と法会、巡礼、巫者・祈禱師、信仰集団、狐憑きや犬神などの憑霊・霊異現象を記す。節ごとに地区と地名を挙げて事例を並べる編み方で、祟る石や産女石、落人の墓なども忌地の項に見える。