弘法大師が調伏した大蛇と伏竜寺
どんな伝承か
昔、弘法大師が湖南を巡錫したとき、三代から高井原山の護摩壇に籠って大蛇の調伏を祈り、大蛇の棲む福浦の古町に下りた。村人によれば、大蛇は福浦と赤津の山堺、分水嶺の峯々を荒らしまわり、谷や沢に死気を吐き散らすので悪疫がはびこり、日も照らず作物も実らないという。大師が大蛇の棲む無窮山に登り、根城の大岩を箒で掃き清めると、大蛇は法力に抗しきれず片岸山へ退散し、麓山の裾の洞窟に這い込んだが、頭かくして尻かくさずで里人に見つかり斬り殺された。里人は大蛇を埋めて地名を穴尾と改め、穴尾山法性寺と薬師堂を建てて霊を慰めた。のちに大師は千手千眼観世音菩薩を刻み、無窮山千手院伏竜寺を開いたと伝わる。
原典より
昔、弘法大師が湖南を巡錫のとき、三代から高井原山の護摩壇に籠り、大蛇の調伏を祈った。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。