伐って祟った三方の松
どんな伝承か
元禄年間、藤尾字大谷に一人の法印が庵をむすんでいた。臨終に際し、生米を口に咬えさせて棺桶に逆さに納め、引田沢を見おろす山に葬れば今後この山里に災疫を流行らせまいと遺言した。部落民はまさかそうもできまいと里はずれの団子山に葬ったが、その年、悪疫が大流行して多数の病死者が出た。遺言に背いたからだということになり、改めて引田沢入りの山腹に言いつけどおり葬ると流行病はやんだ。墓印の松は根廻り十八尺の大木となって三方の松と呼ばれ霊木視されたが、昭和二十九年に堂の修理費のため伐られ、一年足らずのうちに木こり二人と運搬人、所有者の小島某が相次いで死んだという。
原典より
元禄年間この地に一人の法印が庵をむすんでいた。—— 宮城県史 民俗編(宮城県史シリーズ・昭和中期(推定1960-1970年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮城県史 民俗編(宮城県史シリーズ・昭和中期(推定1960-1970年代))
宮城の民間信仰と禁忌(宮城県史民俗編)/禁忌を破る祟りと火玉/河童・狐狸の怪/年中行事と俗信/地域の幽霊・妖怪伝承