家光の身代わりとなった愛馬の観音
どんな伝承か
元和九年九月、徳川家光が狩りの帰りに大日山の山中を通ったとき、愛馬が何かにつまずいて傷つき、死んでしまった。家光は馬を山中に葬って弔い、小さな堂を建てたという。のち元禄年間に長沼で馬頭観音を本尊とする駒形観音が開かれると、その奥の院として祀られた。馬が家光の身代わりになったとされることから、身がわり観音とも呼ばれている。
原典より
なお、その馬が家光の身がわりになったというので、身がわり観音とも呼ばれている。—— 千葉市の伝説(平野馨) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
千葉市の伝説(平野馨)
『千葉市の伝説』は、平野馨が千葉市内に伝わる伝説をまとめた文章である。日本武尊と弟橘媛、行基、千葉氏の祖と天女、源頼朝、徳川家康・家光にまつわる話を中心に、神社仏閣・塚・泉・池・橋・地名の由来や、千葉笑い・雨降かっこなどの行事の起こりを集める。四十三の短い項を古代から近世へおおむね時代の順に並べ、多くの見出しに町名を添え、ところどころに別伝や発掘調査の結果を書き添える。