喜藤次泣かせの動かぬ巨石
どんな伝承か
文政年間、豊後森藩主の久留島通嘉は豪放な武将だったが、小藩ゆえ幕府に気兼ねして立派な城を構えられなかった。そこで三島神社の改築を名目に、社を中心とした堅固な城郭を築かせた。庭園には森奥の八重垣辺りから数千貫もの巨石を運ぶことになり、太田村の庄屋長尾喜藤次が人夫を率いたが、一日に三尺ほどしか動かない。城の裏門まで来ると、人夫をいくら増やしても石は一歩も進まなくなり、喜藤次は自分の力不足を恥じて泣き出した。怨霊が石にこもって祟っているのだろうと一乗寺の山伏を呼んで祈禱させたところ、石は再び動き出して庭まで運べた。それでこの石は喜藤次泣かせの石と呼ばれるようになったという。
原典より
早速一乗寺の山伏を呼び、祈禱をしたところ、不思議や巨石は再び動き出して、庭園まで運ぶことが出来た。—— 大分県の民話 第1集(土屋北彦・大分県の民話シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
大分県の民話 第1集(土屋北彦・大分県の民話シリーズ)
『大分県の民話 第1集』は、大分県に伝わる伝説と昔話四十四話を収めた民話集である。杵築・国東・玖珠・久住・日田・大分などの土地にまつわる城主の姫の悲話、地蔵や御名号の霊験、大蛇やカッパのたたり、馬鬼退治、大友・島津の合戦の話に、亀の報恩、瓜姫、山うば、猿と蟹などの昔話を交え、方言の語りのままの話も含む。最後に、八百屋お七の恋人吉三郎が杵築の旅籠の主の勧めで八坂村白水に正寛寺を建てた由来を置く。