財を競った朝日長者と夕日長者
どんな伝承か
『新記』は朝日長者屋敷を「小名日向の山際にあり」とし、弘仁の頃、経基という人が勅を蒙って下向し、ここに住したのを土人が朝日長者屋敷と呼ぶと記す。夕日長者屋敷は高篠山の内、荊棘の生い茂る一区の地をいう。両長者はその権勢と財力を競い合ったと伝わる。あるとき朝日長者は小判を二枚ずつ夕日長者の屋敷まで並べ、それでも小判は倉にうなっていた。夕日長者は負けじと栗の俵を二俵ずつ並べ、栗俵もなお倉に山ほど残った。勝負はつかなかった。のち朝日長者の家は代が替わってけちんぼが出、丹生社へ供える例のダンゴを惜しんで馬糞を供えたため、不幸が続いてついに潰れたという。
原典より
朝日長者は小判二枚ずつをならべて夕日長者の屋敷までならべた。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。