朝日長者と夕日長者
どんな伝承か
『新記』は朝日長者屋敷を「小名日向の山際にあり」とし、弘仁の頃、経基という人が勅を蒙って下向し、ここに住したのを土人が朝日長者屋敷と呼ぶと記す。夕日長者屋敷は高篠山の内、荊棘の生い茂る一区の地をいう。両長者はその権勢と財力を競い合ったと伝わる。あるとき朝日長者は小判を二枚ずつ夕日長者の屋敷まで並べ、それでも小判は倉にうなっていた。夕日長者は負けじと栗の俵を二俵ずつ並べ、栗俵もなお倉に山ほど残った。勝負はつかなかった。のち朝日長者の家は代が替わってけちんぼが出、丹生社へ供える例のダンゴを惜しんで馬糞を供えたため、不幸が続いてついに潰れたという。
原典より
『新記』は朝日長者屋敷について、「小名日向の山際にあり。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成・昭和40年代刊(中巻・歴史伝説)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成・昭和40年代刊(中巻・歴史伝説))
韮塚一三郎『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』(歴史伝説の巻)を全608話・伝説(土地別の異伝)単位で収録(<解説>・[参考]・和歌・注は本文に内包)。埼玉県下の歴史伝説(塚・城址・古戦場・武将〈新田義貞・畠山重忠・太田道灌ら〉・史跡・寺社縁起等)を、所在地(市町村・字・社寺)と出典(新編武蔵風土記稿・各市町村史等)を付して体系的に集成した中巻。