千手姫が後を追った重衡塚
どんな伝承か
本庄市児玉町蛭川の釈迦堂前の墓地に、平重衡を祀る重衡塚が東を向いて立つ。塚とは名ばかりで墓石があるだけで、その石も新しい。伝えでは、児玉党の庄太郎家長が一の谷の合戦で重衡を生け捕り、のちに重衡が奈良坂で斬られると、誰かがその首をもらい受けて蛭川へ運び埋めたという。首切り役の蛭川刑部高家が首を館の脇に葬って釈迦堂を建てたとも、身代わりを立てて重衡をかくまったともいう。夫を慕って訪ねてきた千手姫は塚の傍らの庵で尼となって菩提を弔ったが、やがて夢に迎えに来た重衡の後を追い、荒川の象ヶ鼻の淵に身を投げたと伝わる。
原典より
その後千寿姫は夫が夢枕にたって迎えに来たので、荒川の象ヶ鼻の淵に身を投じたと伝えている。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。