家康を泊めて栄えた喜多院
どんな伝承か
ある日、鷹狩りに来た家康が中院を訪ねて一夜の宿を頼んだが、身なりがあまりにみすぼらしかったので断られた。喜多院は快く泊めたので、のちに御朱印寺になったという。喜多院はもと星野山無量寿寺といい、天長七年に慈覚大師円仁が伽藍を開いたと伝える。兵火で焼けたのを尊海僧正が再興し、のちに天海僧正が入って立て直した。寛永十五年の大火の後には、江戸城紅葉山の別殿を移して客殿と書院にあて、客殿には家光誕生の間が残る。
原典より
或る日、家康が鷹狩に来た時、中院へ行って今晩泊めてくれと申し出たところ、家康の姿があまりみすぼらしいので断った。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。