茶屋の爺の名が残る三太郎坂
どんな伝承か
奄美大島の東仲間村の橋のたもとから右手へ上る一筋の道は、明治になって開かれた新道で、最初の五、六町が急な坂であるほかは、椎の茂る山を谷越しに眺めながらゆるやかに進む尾根の道である。三十年あまり前、内地から来た夫婦がこの峠に茶屋を建て、あたりの林を開墾し始めた。肥後から薩摩へ越える三太郎峠とは違い、ここはその爺の名から三太郎坂と呼ばれるようになった。しかし次の新道はこの峠を通らず遠くの山を巡ることになり、三太郎はついに茶店をやめた。柳田が正月に通りかかると店は閉ざされ、老夫婦が炉端で寝ていたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。