官船を奪って沖へ逃げた三十人
どんな伝承か
八丈島の島抜けは享保七年を初めとして、前後十三回ほど行われた。そのうち最後で最も凶暴だったのが、万延元年十月の事件である。三十人ばかりが徒党を組み、火縄銃一挺と脇差二筋のほかは竹槍を手にして名主半右衛門らを殺し、続いて陣屋を襲って御船水主同心を攻め立て、ついに官船を奪って沖へ逃げた。島役人はただちに追船を出し、小銃で制圧して辛うじて本島へ連れ戻す。首謀の五人は船中から海へ飛び込んで死に、残りは吟味中に病死するか翌年仕置となり、十人だけが赦されて島に残されたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。