除夜の門火と年棚のミタマの飯
どんな伝承か
寛政四年の十月はじめ、菅江真澄は丸三年の蝦夷滞在を終えて引き返し、外南部の奥戸の澗に上陸した。それから二年半ほどが、下北半島の小天地の生活であった。この地方の正月記事は、寛政六年の『奥の手振』が画も文章も完備して残っている。除夜にはサイトリカバといって、白樺の皮を門火に焚いた。年棚にはミタマの飯というものを作って祖先の霊に捧げ、真澄も手ずからその土地の風を習ってそうしたと記している。節分の豆まきには松の葉と昆布の刻んだのをまじえて撒き、松はまず一本を家の内の大柱に結んで立て、それに餅や鮭の魚を供えた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。