除夜の門火と年棚のミタマの飯
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どんな伝承か
寛政四年の十月はじめ、菅江真澄は丸三年の蝦夷滞在を終えて引き返し、外南部の奥戸の澗に上陸した。それから二年半ほどが、下北半島の小天地の生活であった。この地方の正月記事は、寛政六年の『奥の手振』が画も文章も完備して残っている。除夜にはサイトリカバといって、白樺の皮を門火に焚いた。年棚にはミタマの飯というものを作って祖先の霊に捧げ、真澄も手ずからその土地の風を習ってそうしたと記している。節分の豆まきには松の葉と昆布の刻んだのをまじえて撒き、松はまず一本を家の内の大柱に結んで立て、それに餅や鮭の魚を供えた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
柳田国男編『定本柳田国男集 第2巻』を全331話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。
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大間町の伝承
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