家康が探らせた安倍川奥の抜け道
どんな伝承か
晩年、駿府に住んでいた徳川家康は、安倍川の上流から信州へ抜ける隠し道があるかどうかを気にかけ、家臣に命じて探らせたという記録が残る。復命書の詳細は伝わっていないものの、家臣は実際に山を越えて信州側に出た後、無事に戻ってきたと言われている。新たな遠征路を開く目的というよりも、逆に信州側から密かに入り込む者がいないかを確かめるためだったのだろうと推測されている。
原典より
徳川家康が老いて駿府に居た頃に、たしか安倍川の上流から、信州へ抜ける道が有るかどうかを、家臣に命じて探險させたといふ記事を見たことがある。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。