対馬・壱岐の海女の限られた分布
どんな伝承か
対馬の在来の海女は、厳原のすぐ近くの曲という部落一つだけで、他には全く無いのがむしろ意外であるという。曲は由緒も公に認められ、もとは若干の特権を持っていた。養和の帝を奉戴していたということも、この部落の言い伝えである。壱岐島でも芦辺と八幡と渡良の小崎と、この三箇所の浜にしか海女はいない。何か農民とは一緒に住まぬ理由があったものと思われる。対馬南端の浅藻などには済州島の海女が来て小屋を掛け海藻を採っており、全島を合わせると百人を超えるという巡査の話であった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。