鯨波・柏崎間の円形残し耕作
どんな伝承か
高田を四時半に立ち、汽車で柏崎へ向かう途中の見聞である。鯨波と柏崎の間などの田に、所々一間径ばかりの円形に土を囲い、そこだけ古株のままに耕さずに置いてあるのが目についた。これは肥料の流散を防ぐため、なるべく遅くまで肥土をそっとしておくのだという。あるいは雪中の肥曳きの風習の名残かもしれない。以前は田は春になってから打ったのが、近年は仕事の都合でここだけ残して早く打っておくことになったものかと柳田は考えている。鉢崎あたりの海岸には浜茄子が多く咲いていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。