葛飾橋に着く下肥船の水増し
どんな伝承か
東京で船を持つ者が、町で溜めた下肥を帆掛け船で川を上って運んできた。船が松戸の葛飾橋へ着くと、船主が各家庭を回って「いついつまでに取りに来い」と触れ、勘定は盆や暮れに、どこの家は何杯と数えて決めた。船頭も船主も東京の者で、住宅から一軒いくらで汲み取って金を取り、それを運んできて今度はこちらからも代金を貰うのだから、今考えるとまったく馬鹿にされたようなものだという。足りないときは葛飾橋の近くで川の水を入れて掻き回せば分からないと、ごまかしたとも語られる。
原典より
東京で船持ってて、町でもってためたものを、帆掛け船でずっと上がったんですね。—— 市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年))
『市川の伝承民話 第1集』は、市川民話の会が昭和五十五年に編んだ民話の資料集である。市川市教育委員会の事業として昭和五十四年度に千葉県市川市の国分・北国分・行徳・南行徳で行った採訪調査のうち、テープ起こしを終えた語りを、方言も残して話者の息継ぎのままに記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部に分けて地区別に並べ、話末に話者・地区・記録者の名を添える。