高崎屋の角に残る一里塚の榎
どんな伝承か
関東、とくに東京の四周には榎戸という地名が多く、実際に道端の大榎も多かったと柳田は書く。郊外では王子西ヶ原の一里塚の榎が史蹟として保存を説かれていたが、どこを起点とする一里塚なのかは分からなかった。本郷追分の三叉路、いまの大学農学部の正門と向かい合う高崎屋という酒屋の角にも一里塚の跡があり、学生時代には確かに榎の古株が残っていた。王子とは距離が近すぎるので、みんなが不審に思っていたのをよく覚えているという。榎はもともと里程標というより、道の分かれ目や村境に手植えされる木だった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。