重忠主従を葬った鶴ヶ峰の六ッ塚
どんな伝承か
神奈川県指定史跡となっている六ッ塚は、鶴ヶ峰の丘陵上に六箇の塚が数間おきに点在する史跡である。もっとも大きな西側の塚は畠山重忠のもの、参道を隔てて相対する東側の塚は次男重秀のものと伝わり、残る四塚も畠山一党の遺骸を葬ったものとされる。重忠の塚の前には石灯籠と畠山地蔵尊が安置され、傍らには冤罪のもとに討たれた重忠の最期を記した『六ッ塚の記』の碑が立てられている。塚地の奥には昭和四年に建立された畠山霊堂もあり、先人の霊を弔う場となっている。
原典より
周圍數百坪を一面の芝生に埋められた中にポッコリと盛られた土饅頭は、最大なもので高さ四尺に周圍三十尺餘り、小さなものは三尺に二十尺足らずで、その西側にある一番大きな塚が大將畠山二郎重忠のもので、…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。