鹿の骨で吉凶を占った武蔵野
どんな伝承か
武蔵野には昔から猪や鹿が群れをなして棲み、住民は火を焚いてその害を防いだ。狭山ヶ峯にともす火を詠んだ古歌はその火のこととされ、万葉集に残る武蔵野の占いの歌は、鹿の骨を焼いて吉凶を占った当時の習わしを詠んだものだといわれる。中氷川山の上には、猪の害を防ぐ「猪除」の横塀を外側に備えた足利様式の珍しい建物が、中氷川神社の宝物殿として残る。山口貯水池の工事で取り払われた家々の中には同じ造りがまだ九戸あり、その一つを持ち主から譲り受けて移したもので、天正年間の建築と伝える。
原典より
の歌は、その鹿の骨を焼いて吉凶を占つた當時の風習を詠つたものであると云われてゐるが、…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。