義貞が戦況を望んだ八国山の塚
どんな伝承か
狭山丘陵の東端にある八国山は標高八十九メートル余りで、三方に開けた眺めが武蔵野を見下ろす。その頂に将軍塚と呼ばれる擂鉢形の古墳がある。新田義貞がこの塚の上に立って戦況を眺めたのだと伝えるが、名の起こりはむしろ後年、正平七年の義宗との戦いで足利尊氏が陣を敷いたことによると見るほうが正しかろう、と筆者は書く。山を下りて北へ向かうと柳瀬川に勢揃橋が架かり、義貞がここで軍勢の勢揃いをしたことから付いた名だという。手前の鳩ヶ峰では、八幡神社の境内に義貞の兜掛の松を仰いだ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。