小金が原の捕駒を記した定信の見聞
どんな伝承か
幕府の牧場の組織は徳川氏開府以来の制度で、初めて置かれたのは慶長十九年のことである。上野・中野・下野など十一処牧と総称し、その面積はおよそ四十里に及んだ。その長を野馬奉行といい、小金に住んだ。寛永二年には二万余の駒を養わせたという。松平定信は「総常日記」に、小金が原の捕駒の堤での駒捕りの様を記している。囲いを三つに分け、牧士が馬で野駒を追い立てて囲いへ入れ、野馬奉行は仮屋から駒の良し悪しを書きつける。五頭ずつ別の囲いへ放ち、竹杖につけた輪縄を首に打ちかけて捕らえる。荒い駒は引かれる道で狂い死にすることもあったという。追い入れた駒は六百余、印に当たって引き立てられたのは百七十余であったと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 下総の巻(藤澤衛彦・日本伝説叢書・1919年(大正8年))
『日本伝説叢書 下総の巻』は、藤澤衛彦が編著し、大正七年の緒言と大正八年の序を添えた下総国の伝説集である。平将門・佐倉宗吾・真間の手児奈・累などを中心に、千葉県と茨城県西部にまたがる旧下総の城跡・寺社・墓・橋・井戸などにまつわる伝説を、地誌や古記録の引用を交えて収める。緒言で百七十九編を収めると述べ、国名の由来から始めて、話ごとに所在の町村名を付した見出しを立てて並べる。