苅萱と石堂丸を刻んだ親子地蔵
どんな伝承か
筑前苅萱荘の国主であった加藤左衛門尉繁氏は高野山に登り、等阿と名乗った。一子の石堂丸が父を訪ねてきたが名乗らず、石堂丸もまた高野に留まった。繁氏は情を断ちきれずひとり信州の善光寺へ移って草庵を結び、霊夢に導かれて地蔵堂を建て、八十三歳で世を去った。道念法師となっていた石堂丸は夢の告げで事情を知り、急ぎ駆けつけて父を弔い、等阿の地蔵の隣にもう一体を刻んだ。この二体を親子地蔵と呼ぶ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男(指導)・日本放送協会(編)/関敬吾・石原美子(編纂)・1949年(昭和24年))
『日本伝説名彙』は、柳田國男の指導のもとに日本放送協会が昭和二十四年に編んだ伝説の名彙である。全国の伝説を、その拠り所となる木・石・岩・橋・清水・淵・塚・坂・屋敷・地蔵などの地物の名ごとに集め、伝わる県郡村名を付して、郡誌・市町村誌や伝説集、民間伝承誌などの出典を括弧で示す。冒頭に柳田の「傳説のこと」を置き、木・石岩・水・塚・坂峠・祠堂の部に分けて、巻末に資料の解説と種類別索引を付す。