別邸を借りて始まった遷喬小学校
どんな伝承か
明治九年十一月、上下練馬など四か村は中村の南蔵院に東京府公立豊玉学校を創設した。校名は豊島郡と多摩郡の頭字を合わせたものである。のちに郡区改正で学区が分かれ、東福寺が家塾の閉鎖を願い出たため、戸長や江古田・片山両村の有志が協議し、江古田村の東南端の和田山にあった五辻安仲の別邸の一棟を借りて仮校舎とした。明治十二年六月二日、生徒四十五名で始まったこれが遷喬小学校の前身である。やがて手狭になり、江古田村字本多の低地を埋め立てて明治十五年一月に校舎が完成し、二月四日に開校式が行われた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。