浅茅が原で討たれた豊島彦五郎
どんな伝承か
文明九年ごろ、扇谷方に背いた豊島彦五郎重貞は、一族郎党五百余人を率いて浅茅が原(台東区石浜町、旧竜泉寺門前一帯)に陣を敷いた。太田道灌は七百余騎で真乳山に出張し、平場へ押し出して合戦となる。彦五郎は自ら奮戦するが味方は総崩れとなり、宝田源八郎との一騎打ちで太刀を投げ捨てて組み合い、両馬の間に落ちて戦い疲れの末に討ち取られた。浅茅が原はのちに梅若丸の母が入水したと伝わる鏡の池や、妙亀尼のけさ掛の松など数々の伝説が残る地でもあった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。