青竹を持って葬列に加わった沼島の泣婆
どんな伝承か
淡路の沼島浦にも、かつては泣婆というのがいて、青竹を持って葬列に加わったということが、屋代翁の「淡路風俗答書」に見えている。古代の葬制儀礼にあった哭女の風習が近代まで各地に持続していた例の一つとして、丹後与謝郡の御家中の葬礼で、女子を会せしめず、たい飯持と泣婆とを傭って葬送した例などと並べて挙げられている。
原典より
さらに丹後与謝郡誌下巻に、御家中の葬礼に一切女子は会せしめないで、たい飯持と泣婆とを傭つて葬送したことが見え、淡路の沼島浦にも嘗つては泣婆といふのが居て、青竹を持つて葬列に加つたといふことが…—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。