麦香焦を分けた老夫婦と目青竹
どんな伝承か
『上野国志』が記す八幡宮の縁起。八幡村の八幡宮は天徳元年の鎮座という。昔、鼻高村の老夫婦が野良仕事の合間に麦香焦を食べていると、容貌の立派な沙門が食を乞うた。粗末な物だと断る夫婦に、沙門は日ごろの正直さを愛でるのだと言って食べ、西北の林中の稲荷の社を指して、この地に跡を垂れると告げ、竹の杖を空へ投げて喝を唱え、正八幡と名乗って姿を消した。林には青い竹が生じ、その種が今に残る目青竹である。ここに祠を建て、稲荷は地主神なので参詣者はまず稲荷を拝む。老夫婦は祖父祖母の神と崇められ、子孫の小沢氏は六月の祭に麦香焦を供える。康平年中には源義家が祈願して矢の幹を挿し、根づいたものが目白竹と呼ばれるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
群馬県史 資料編 27(群馬県史)
『群馬県史 資料編 27』は、群馬県の県史の資料編の一冊で、収めるのはその「第三章 伝説」である。伝説の定義と分類、『神道集』や近世の地誌から明治以降の郡村誌・伝説集に至る県内の調査の歩みを述べ、赤城と日光の神戦、赤堀道元の娘と木部姫の入水、文福茶釜、羊太夫、弘法伝説などを群馬の伝説の特色として論じる。続いて代表例を自然的・社会的・信仰的伝説の三つに分け、各地の口承と古記録を伝承地を添えて並べる。