稲を作らぬ秋畑と稲含の神の禁忌
どんな伝承か
秋畑は村をあげて稲含神社の氏子である。稲含の神はもとインドの神で、隠す場所がないため米の種をミホトに隠し、命がけで持ってきた。そして大小便を机に出して稲作の方法を説いたため、スサノオノミコトが怒ってトヨウケヒメを真二つに切った。その二つを祀ったのが稲含様だという。神が苦労して持ってきた稲だから、氏子には作らせなかった。神はインドの姫で稲を口に含んで来たので、作らせると盗みが知れるからだともいう。大正の初め、那須浜井場のある家が陸稲を作ると三歳の子が大火傷をし、ほかの家でも次々に災難が起きて、忌むべき米を作った罰だと稲作をやめた。戦時中に再び作るようになり、現在に至る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
群馬県史 資料編 27(群馬県史)
『群馬県史 資料編 27』は、群馬県の県史の資料編の一冊で、収めるのはその「第三章 伝説」である。伝説の定義と分類、『神道集』や近世の地誌から明治以降の郡村誌・伝説集に至る県内の調査の歩みを述べ、赤城と日光の神戦、赤堀道元の娘と木部姫の入水、文福茶釜、羊太夫、弘法伝説などを群馬の伝説の特色として論じる。続いて代表例を自然的・社会的・信仰的伝説の三つに分け、各地の口承と古記録を伝承地を添えて並べる。