鎌倉街道の十三塚に棲みついたお紺女郎狐
どんな伝承か
旧鎌倉街道の大久伝と宿との間、青木地蔵の楠のあたりまで、街道を挟んだ両側に大小あわせて二〇基の塚が並び、鎌倉街道の十三塚と呼ばれた。大久伝八幡社前の碑文は、経塚とも、非業の死者の墓とも、伊勢古市のお紺女郎の亡霊の鎮魂塚ともいうと伝える。塚は土地改良事業のためほとんどが消滅した。街道の中ほどにあった一番大きな塚には野狐が棲みつき、食べ物をもらううちに村人になじんだ。人々はこの狐をオコンジョロウと呼び、狐は子を連れて人里まで下りてきては、子供達の仲間に入って遊ぶほどになったが、明治末期頃にいつとはなく姿を見せなくなった。お紺女郎狐之塚は、十三塚の碑の西側の一段低い所にひっそりと建てられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊明市史 資料編 5 (民俗編)(豊明市史)
『豊明市史 資料編 5 (民俗編)』は、豊明市の市史の資料編のうち、民俗編の第一節「伝説」を抜き出したものである。栄町・沓掛町・大久伝町・新田町などに残る塚・地蔵・観音・清水・古木にまつわる言い伝えを、所在地や大きさ、ご利益とともに記し、旧鎌倉街道沿いの十三塚と狐、二村山の身替わり地蔵、織田信長にちなむ鷺の森などを含む。じゅんてん観音から市場地蔵まで二十一の項目に小見出しを立てる。