信玄が怒りに任せて斬った断石
どんな伝承か
天文十九年頃、桔梗ヶ原の戦いの後、武田信玄は諏訪へ引き上げ、小笠原長時は大妻の野々宮に陣を構えた。信玄の配下は岩岡と氷室に陣取って向き合ったという。にらみ合いが長引いたため、信玄は諏訪から馬を飛ばして駆けつけたが、陣に着いた途端に乗馬が息絶えた。怒った信玄はそばの石を斬りつけた。これが断石で、以来この辺りはたて石と呼ばれる。石は動かすと祟るといわれ、いぶり石(動石)の名もある。近くには馬頭観音があり、大正の末までは祠に囲まれていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第3巻 3 (中信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第3巻(三) 中信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち中信地方の巻から、伝説の章を抜き出したものである。木・石・水・塚・坂と道・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌などに分けて、松本・塩尻・安曇野・大町・北安曇・木曽に伝わる言い伝えを短い条で並べる。抜き出しの際に多くの条から採集地の表示が落ちており、土地の名が本文に書かれない条も少なくない。