行者乙松の投げ入れが露見した上新田組
どんな伝承か
慶応三年十二月十一日、上今井村上新田組(現松本市今井)への降札については、降らせた者の名がめずらしく具体的に記録されている。行者と称する乙松(音松)という者が札を投げ入れておいたことが発覚し、打擲されたという。上今井村では十一月十一日から連日降札があり、十二月十一日、十二日には「お札銭」すなわち紙幣まで降ったとされていたが、その終わり際に人為であることが露見した形である。
原典より
なお、十二月十一日の上新田組への降札者については、めずらしく具体的に名前までしるされているが、行者と称する乙松(音松)というものが投げ入れておいたことが発覚し、打擲されたという(三村清亀家文書)。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。