大木を投げて堰を架けた怪力男
どんな伝承か
今は母畑ダムの底に沈んだ管田は、凶作の年でも種籾がよく取れる田だった。中倉村の領分だが山や谷を越えねば行けず、蓬田川と荻ノ目川の合流で毎年水があふれて荒れていた。南須釜千五沢の百姓が耕作を願い出て堰を造ろうとしたが、伐り出した大木は総がかりでも動かない。通りかかった田村郡羽出庭の弥五惣が笑い、怒った人々が詰め寄ると、大木を軽々と持ち上げて堰の場所へ投げ、木は岸に刺さって堰留めになった。頼まれた弥五惣は杭五十本ほどを掛矢で打ち込んで去った。石川の殿様の前で竹の引き抜き比べをした帰り道だったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
平田村史 第3巻 (民俗編)(平田村史)
『平田村史 第3巻(民俗編)』の昔話と伝説の章から、伝説と世間話の節を抜き出したものである。福島県石川郡平田村の大字・字ごとに、八幡太郎義家や日本武尊にまつわる地名の由来、河童石、姥捨ての十石山、平堂内の大蛇、鶴殺し南兵衛、狐に化かされた村人の話などを収める。阿武隈の山あいの村に残る、石と塚と小さな祠にまつわる伝えが中心である。