信玄の愛馬を弔う小茂沢の駒形社
どんな伝承か
武田信玄が白井へ攻め入る途中、三国道の小茂沢に架かっていた土橋を信玄の馬が踏み抜き、脚を折って使えなくなった。そこで土橋を石橋に架け替え、愛馬の供養に駒形社を建てたといわれる。土地改良事業で信玄橋は姿を消したが、駒形社は残された。馬頭尊の石造物には駒形社の額があり、寛政九年の銘とともに湯之上村中の名と信州伊那郡の石工の名が刻まれ、湯之上村の人々が建てたものとわかる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渋川市誌 第4巻 (民俗編)
『渋川市誌 第4巻(民俗編)』の伝説と昔話の冒頭を抜き出したものである。群馬県渋川市の飛び湯と午年の貝水、千が窪の蛇、弘法様の清水、渋川八名石・有馬五石などの石の伝え、祖母島のあずきとぎ、五居が島、二位寺山、歯黒稲荷などを、伝承の大字を添えて収める。利根川と吾妻川の合う町の、石と水と塚にまつわる伝えが中心である。