身を投げた染葉の君と歯黒稲荷
どんな伝承か
遠い昔、都から流されてきた小野金善公が北箱島に住んでいた。娘の染葉の君は田舎にはまれな美しい人だったが、ある事情から吾妻川の染歯が渕に身を投げた。亡骸は流れて金井の里に着き、里人が引き上げて手厚く弔った。君は都の女のたしなみとして鉄漿で歯を黒く染めていたので、その土地は歯黒と名づけられた。その心情を哀れんだ人々は大同二年に歯黒稲荷大明神の祠を建てて霊を慰めた。祠は天明三年の浅間の泥流で流されたが、弘化二年に金井村の人々が朝日観音堂の境内に建て直したと伝えられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渋川市誌 第4巻 (民俗編)
『渋川市誌 第4巻(民俗編)』の伝説と昔話の冒頭を抜き出したものである。群馬県渋川市の飛び湯と午年の貝水、千が窪の蛇、弘法様の清水、渋川八名石・有馬五石などの石の伝え、祖母島のあずきとぎ、五居が島、二位寺山、歯黒稲荷などを、伝承の大字を添えて収める。利根川と吾妻川の合う町の、石と水と塚にまつわる伝えが中心である。